孝徳天皇の勅願によって大化改新の時に、左大臣となった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が安倍一族の氏寺として建立したのが「安倍山崇敬寺文殊院」(安倍寺)である。しかし一般的には古来より、日本三文殊の第一霊場(京都府・天の橋立切戸の文殊、山形県・奥州亀岡の文殊) 「大和安倍の文殊さん」として名高い。 大化元年(西紀645)倉梯麻呂が創建した安倍寺(崇敬寺)は、現在の寺の南西300メートルの地に法隆寺式伽藍配置による大寺院として栄えていた。(東大寺要録末寺章)(現在「安倍寺」跡は国指定の史跡公園として保存されている。)鎌倉時代現地に移転後も、大和十五大寺の一として栄え嘉吉元年(144)この興福寺官務牒疏には当時なお二十八坊の存在が記されており、寺運はなかなか隆盛であったが、永禄六年(1563)二月松永弾正の為に兵火に会い一山ほとんど鳥有に帰する災を受け、その後寛文五年(1665)四月に到って本堂(文殊堂)と礼堂を再建されたのである。現在の本堂は即ちこれで、人母屋造本瓦茸七間四面の建物で前に礼堂(能楽舞台)を従えている。本堂の右に釈迦堂、左に大師堂、本坊、庫裡が並ぴ庭園を隔てて方丈客殿につらなっている。千三百余年の星霜を経ているが常に一般道俗の信仰をあつめ、由緒も深く寺勢も盛んであった事ば寺伝の由来記に載せるところであり、 日本最大の文殊菩薩 を本尊とする安倍文殊こそ俚謡そのままのある五台山として、仏徒の巡拝すべき道場である。

境内は広く、様々な建物が建立されております。

三大文殊菩薩の一尊や、七福神霊場にもなております。

洞窟内の不動明王や、大師堂、安倍家が占星術に使われた天文台や社が安置されております。

本堂内に入ると、お抹茶が用意され、頂いた後、本堂に奉られる、文殊菩薩には圧巻です。

自分の生れ年が卯の守り本尊が文殊菩薩の為、感慨深いものがあります。

本尊の大きさにも驚きで、法要時は内陣に入れませんが、回向や法要が済めば、内陣に入る事も可能です。
(今は、受験シーズンなんで、法要が多いかも知れませんね?)

日本三大文殊の一尊だけあり、本当に見事です。

最近は高速道路が延び、南阪奈道を突き進み、橿原神宮を越えれば直ぐに着きます。

十三仏霊場の一ヶ寺にも指定されております寺院なので、参拝客は多いです。

ここの文殊菩薩像は一見の価値ありです。

本当にお薦めの寺院さんです。
お近くにお寄りの際には、騙されたと思って立ち寄り下さい。


PS.さて、そろそろ寺院参拝の紹介場所が無くなってまいりました・・・。
皆さん、何処か気になる寺院さんはありますか?良ければ参考に教えて下さいよ〜
近畿県内なら、行きますよ!・・・多分。
一応、近々中山寺と清荒神さんには参拝予定ですが、予定は未定です・・・。
・・・ま・・まぁ、好ご期待下さいませ。