志喜屋日記

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寺社仏閣

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お早う御座います。

嫌な天気が続きますね?
昨日も雪がチラホラ・・・
今日も凄く寒いです。
皆様も体調管理にはくれぐれも気を付けて下さいね。

・・・と、何事も無かったかの様に日記を書いてますが、かれこれ・・・・
まぁ・・・スイマセン。
教王護国寺(東寺)参拝致しました。

現在、東寺は『京の冬の旅』特別拝観を実施中です!
五重塔の一階部分の拝観が出来ます。
壁画には真言八大高祖が描かれ、中央には・・・五智如来?いや違うな・・・
う〜ん・・・四方に向け仏が鎮座されてます。
中心の柱を支える基礎の石が見ます。

隣に塔頭寺院の観智院が御座いまして、現在は此方も特別拝観中です。

此方では、宮本武蔵が描いた壁画や中庭の枯山水、五大虚空蔵菩薩に愛染明王、茶室等々、敷地は対して大きく無いのですが、見所満載です。

まぁ少し寒い時期では御座いますが、特別拝観では平素では見られない物や場所が見れるスペシャルな期間です。

見に行かれては如何でしょうか?

※くれぐれも行かれる際には、私の情報ではなく、東寺のHPを確認下さい(笑



わぁ〜・・・やってしまった・・・。

 皆様、お久し振りです・・・。

続かないものです。

会社用の携帯には週に二日、火曜日と金曜日だったかな?日記の更新日ってスケジュールに登録してるんですが・・・。
出来ません。

だって、PC前に居てないんですから。

 本日は天気が悪く、来店されるお客様も少なかったので、さっさと用事を済ませ、やっと日記を更新出来ました!

 では、四国札所 吉祥寺さんの続きです。

吉祥寺(きちじょうじ)は、愛媛県西条市にある真言宗東寺派の寺院である。密教山(みっきょうざん)、胎蔵院(たいぞういん)と号す。本尊は毘沙門天。四国八十八箇所霊場の第六十三番札所。本尊が毘沙門天であるのは八十八箇所では本寺のみ。

本尊真言:おん べいしら まんだや そわか

ご詠歌:身のうちの 悪しき悲報を 打ち捨てて みな吉祥を 望み祈れよ


寺伝によれば弘仁年間(810年-823年)に空海(弘法大師)が光を放つ檜から毘沙門天・吉祥天・善賦師童子を刻み、安置したのが起源といわれる。

当初は坂元山にあったが、豊臣秀吉の四国征伐の際に焼失。万治2年(1659年)に現在地に移転、再建された。


さて、次は何処の寺院を紹介しようか迷ってます。
妥当に行けば、逆打ちだったので、宝壽寺さんか香園寺さんだろうな・・・。

急いで写真の編集をしなければ。

皆様、こんにちは。

本当に更新が出来なくて申し訳なく思います。

にも関わらず、多くのアクセスを頂きまして、感謝致します。

 と言っても、又お盆シーズンの到来で多忙に多忙を極める時期ですが、何とか日々業務の中で日記を書く日時をルーティン化して行きたいと思います。

 出来るだけ、寺院紹介や時折日常又は愚痴を綴りたいと思います。



 さて、久し振りですが寺院紹介です。

今回は四国八十八ヶ所の札所

 吉祥寺さんです。

 まぁほぼ一年前の事ですが、大阪南港より車をフェリーに乗せ、愛媛県の東予港へ。

朝一、大体6:15位だったと思います。

さて、何処に行こうか???

カーナビにて最寄の札所を探す事に。

そこで向かったのが吉祥寺だったと思います。
愛媛での一番目か二番目に参拝した寺院です。
・・・・一年前の記憶を振り絞って書いてるので多少の誤差はお許し下さい。

 朝早くだった為、天気は抜群に良いのですが、他の参拝者は居ませんでした。

だって、7:00前後ですからね(笑)

 昔は写真を撮る時に景色や建物だけを撮り、載せる方が綺麗だと思い、人の波が途切れたタイミングや、人が居ない時をシャッターチャンスと思い撮ってました。

しかし、そんな写真を後日帰って見てみると、状況が思い出せない・・・。
あれ、これ何時だっけ?何やったかな?って。

だから、最近は人や他の物も込みで写す事にしてます。

その方が自然だし。

そう考えると、朝一に参拝した吉祥寺さんは誰も写ってないので少し寂しいです。
札所なんで、勿論参拝者が途切れる事なんて無いですが、深夜から朝一にかけては流石に参拝は・・・・ねぇ?

次回は、吉祥寺さんに関する詳細を載せたいと思います。

カミング・スーンです。
直ぐに更新出来る様に頑張ります!!

 お早う御座います。

 何と、最近では珍しく、二日連続の日記更新です。

 天気は良いのですが、建物の中だと寒いです。
外で動いてる方が温かいでしょうね。

 本当に最近は変な天気が続き、体調を崩される方も多いと聞いております。
 皆様も体調管理には充分気を付けて下さいね。

・・・・と言いつつ、私は先週高熱で倒れ二日間休養してましたが。

 さて、今回は曼荼羅寺です。
私の寺院紹介日記では珍しく、一回日記です。



曼荼羅寺(まんだらじ)は、香川県善通寺市にある真言宗善通寺派の寺院。本尊は大日如来。四国八十八箇所霊場の第七十二番札所。

ご本尊真言:おん あびらうんけん ばさらだどばん

ご詠歌:わずかにも 曼荼羅おがむ 人はただ ふたたびみたび 帰らざらまし

寺伝によれば、弘法大師(空海)の出身氏族である佐伯氏の氏寺として推古天皇4年(596年)に創建され、当初は世坂寺(よさかでら)と称したという。

弘法大師が唐より帰国後、請来した金剛界・胎蔵界の両曼荼羅を安置し、大日如来を本尊として再興。母である玉依御前の菩提寺とし、山号・我拝師山、寺号・延命院曼荼羅寺と改称したと伝える。

弘法大師の手植えとされた「不老松」があったが、2002年に枯死している。


 出釈迦寺と善通寺を参拝しようとすれば、路に必ず現れる、曼荼羅寺。

 多少ですが、無料駐車場も完備しておりますので、気軽に参拝出来る寺院です。

 主要道路から離れた筋に面しており、凄く静かな場所にあります。

時間が御座いましたら、のんびりと寺院周辺も探索されても面白いかと思います。

 名所って訳では御座いませんが、心休まる穏やかな寺院でした。

皆様、こんにちは。

 流石に習慣が戻って参りました。

って、明日になったら忘れてそうですが・・・。

 でも、頑張りますよ!!

本日、大阪は凄くいい天気です。ここ数日間は変な気候だったので、特に本日は最高ですねぇ〜

 雲ひとつ無い空、淀川沿いで昼寝でもしたい気分です・・・が、仕事です。

 さて、出釈迦寺の続きです。

と言っても、お寺の写真と言うよりも、崖の写真だけなんですが・・・。

 出釈迦寺 (しゅっしゃかじ)は、香川県善通寺市にある真言宗御室派の寺院。四国八十八箇所霊場の第七十三番札所。我拝師山 求聞持院 出釈迦寺と号する。本尊は釈迦如来。

本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか

ご詠歌:迷ひぬる 六道衆生 救はんと 導き山に いづる釈迦寺

捨身ヶ嶽禅定
出釈迦寺から登山道を上って約40分。空海が身を投げたといわれる我拝師山の中腹の100メートル下に奥の院が作られ、捨身ヶ嶽禅定と呼ばれている。奥の院にある石碑には、身を投げる空海とそれを救う釈迦如来と天女の図が描かれている。

 寺伝によれば、空海(弘法大師)が7歳の時に倭斬濃山(わしのやま)(現、我拝師山)に登り、「仏門に入って多く人と衆生を救いたいのです。私の願いが叶うなら釈迦如来様、お姿を現して下さい。もし、願いが叶わないのなら私の命を仏に供養します」と願い、山の断崖から谷へと飛び降りた。すると、落下する空海の前に釈迦如来と天女が現れて抱きとめ、「一生成仏」と宣し、彼の願いが成就された。感激した空海は、釈迦如来が現われた山を「我拝師山」名づけ、その山に出釈迦寺を建立し、釈迦如来の尊像を刻んで本尊としたという。
約300年前までは山頂が札所になっていたが、1920年(大正9年)に麓に移された。

奥之院遥拝所(おくのいんようはいじょ)
奥の院である捨身ヶ嶽禅定の遥拝所。この場所で念仏を唱えると、捨身ヶ嶽禅定に登ったのと同じ利益(りやく)が得られると言われており、捨身ヶ嶽禅定の建物を見ることもできる。

こんにちは。

危ない所でした。

日記を書く習慣が本当に無くなっていまして、書こう、書こうと思いつつ、忘れてしまいます・・・。

 紹介したい寺院は沢山ストックしてるんですが。

 今回は、出釈迦寺です。

 思い立って出掛けた、正月の分です。

 始めに善通寺に行き、折角なんで、この周りの札所を参拝しようと出掛けました。

 順番は無視し、近い順に参拝。

 確か1月3日か4日だったので、初詣の参拝者も多く見られました。

 本堂や大師堂は正月期間の為、無料駐車場(本来は有料だと思います)から、直ぐの所にあり、参拝を済ませました。

 そこから上に車で5〜10分の所に奥の院的な場所があり、お堂の裏が、有名な?崖になってます。って、私は知らなかったんですが・・・・。

 次回は、そこの崖と出釈迦寺の説明です。

 せめて今月中には日記にせねば!!

 手前に曼荼羅寺があったので、帰りにはここも参拝だなと目安を付けてました。

 皆様、こんにちは。

危ない所でした・・・・。

あまりにも日記を書く習慣がなくなっており、続きを書かなくてはいけない事を忘れておりました・・・・。

しかも、日記がどの寺院だったかも忘れ、最近参拝した京都の神泉苑だったと何故か勘違いし、写真の編集をしてました。

 違いました。

 四国札所の大窪寺でしたね。

では、大窪寺の詳細に付いてです。

大窪寺(おおくぼじ)は、香川県さぬき市にある寺院。四国八十八箇所霊場の第八十八番札所であり、納経印は「結願所」となっている。医王山(いおうざん)遍照光院(へんしょうこういん)大窪寺と号する。

本尊は薬師如来。宗派は真言宗大覚寺派。本寺では結願証明書(賞状)を有料で書いてもらうことができる。

寺伝によれば、奈良時代の養老年間(717年 - 724年)に行基が開基し、弘仁年間(810 - 823)に空海(弘法大師)が奥の院の岩窟で虚空蔵求聞持法を修し、薬師如来を刻んで安置したとされている。この時に空海が納めたとされる錫杖は、空海が唐から持ち帰った三国伝来のものと伝え、本尊とともに祀られている。

 正月もあり、参拝者も多く、出店や土産物屋さんが凄く賑わってました。

 一応、私の四国霊場一国参りは終了致しました。って、楽するな!!・・・です。

 さて、次回も寺院日記の予定ですが、何処を紹介しようか迷ってます。

 今だと、桜のシーズン真っ只中なんで、京都桜の名所の寺院を紹介するべきか、妥当に参拝した順に紹介するべきか・・・。

 順番に紹介しないと、判らなくなっちゃうんですよね・・・・。

皆さん、こんにちは。

さりげなく復活致します。

PC業務を離れてた上に、他の用事が超多忙で、日記の更新なんて出来たものでは無かったんです・・・・。

 そのまま、日記を更新する習慣が無くなり、今に至りました。

と、言い訳をしたりして。

 本題

さて、今年の年始に軽く四国参りを致しました。

 その内の一つ、

四国八十八ヶ所霊場 結願の寺:大窪寺です

正月の三箇日に行きました。

あまり考えて無かったのですが、高速道路が1,000円の期間でした。ラッキー!

大窪寺は最後に行き、しかも夕方ギリギリだったので、写真によっては夕日が差し込んでます。

 この日は、善通寺・曼荼羅寺・出釈迦寺を参拝し、最後に大窪寺に到着致しました。
勿論、他の寺院日記も何時かは書きます。

 この日は帰省ラッシュに巻き込まれ、少し渋滞してました。

 一国参りなら終了ですね。
旅行に行く場所が偏ってるので、当然参拝する寺院も被るんですよね・・・。

でも、大窪寺はルートから外れて無理矢理参拝しました。

 結願の寺プラス初詣で賑わってました。

やはり寺院巡りは良いですよね。

 日記は更新してませんが、寺院参拝は山ほど行ってます。

紹介したい寺院は盛り沢山です。

もっと時間があれば、良いのですが・・・。

 大窪寺の詳細は次回の日記にて。


 皆さん、こんにちは。

安楽寺編の最終回なんですが、・・・。

特に記入する事が無くなってしまいました。

 スイマセン。

この三重塔自体は凄くお薦めです。

しかも、この地域、上田市は温泉でも有名の様です。

 何かの折に行かれたのであれば是非立ち寄る事をお薦め致します。

 土日に行くと1,000円ですしね。

 私が行ったのも土曜日だったので、大阪から長野県まで1,700円位で行けたと思います。

 凄い安いですよね〜?

ありがたいんですが、困る事も・・・。

 私の旅行は、結構船に車を乗せます。

しかし、この10年位で大阪から高知県へ行く船が全てなくなりました。

明石海峡大橋が出来たから。
便利で良く使うのですが、たまには船で行きたいんですよねぇ〜。

 現在、愛媛県東予港・福岡県門司港への船はありますので、助かってます。

 今度、長期休暇を取ったら、大分県に船で入り温泉を堪能し、又船で愛媛県に入り四国を回る旅をしたいですね〜

って、安楽寺編の最終回だったのに、普通の日記になってしまいました・・・。

 次回は信州善光寺編を書く予定です。

 皆さん、こんにちは。

日記を書こうと思うと別の用事が増えます。
結構、初めは『皆さん、お早う御座います』って書いている事が多いんですよ。

そのまま、接客や別の用事、電話、配達等を済ませると、知らない間にお昼になり、夕方になり、晩になり・・・・。

何度かは消した事もあります。

 今回は予想より早く書けた気がします。

では、安楽寺編の続きです。

安楽寺(あんらくじ)は長野県上田市別所温泉にある曹洞宗の寺院。山号を崇福山と称する。院号は護国院。開山は樵谷惟仙(しょうこくいせん)。本尊は釈迦如来。国宝の八角三重塔があることで知られる。

伝承では天平年間(729 - 749年)、行基の建立とも言い、平安時代の天長年間(824 - 834年)の創立とも言うが、鎌倉時代以前の歴史は判然としない。

安楽寺の存在が歴史的に裏付けられるのは、鎌倉時代、実質的な開山である樵谷惟仙(しょうこくいせん)が住してからである。樵谷惟仙は、信濃出身の臨済宗の僧で、生没年ははっきりしないが、13世紀半ばに宋に留学し、著名な禅僧の蘭渓道隆(鎌倉建長寺開山)が来日するのと同じ船で寛元4年(1246年)、日本へ帰国したという。2世住職の恵仁は宋の人で、やはり樵谷惟仙が日本へ帰国するのと同じ船で来日した。

鎌倉時代の安楽寺は北条氏の庇護を得て栄えたが、室町時代以降衰退し、古い建物は八角三重塔を残すのみである。室町時代、天正8年(1580年)頃、高山順京(こうざんじゅんきょう)によって再興され、以後曹洞宗寺院となっている。

八角三重塔 [編集]

八角三重塔境内奥の山腹に建つ。昭和27年3月29日に松本城とともに、長野県内の建造物として最初の国宝指定を受ける。

日本に現存する近世以前の八角塔としては唯一のものである。(八角塔は京都法勝寺、奈良西大寺などに存在したが、戦乱などで失われた。)

全高(頂上から礎石上端まで)18.75メートル。構造形式は八角三重塔婆、初重裳階(もこし)付、こけら葺である。(四重塔にも見えるが一番下の屋根はひさしに相当する裳階(もこし)である。)この塔は日本に現存する唯一の八角塔であるとともに、全体が禅宗様で造られた仏塔としても稀有の存在である。組物(軒の出を支える構造材)を柱の上だけでなく柱間にも密に配する点(詰組)、軒裏の垂木を平行線状でなく放射状に配する点(扇垂木)、柱の根元に礎盤を置く点、頭貫(かしらぬき、柱頭を貫通してつなぐ水平材)の端に木鼻(彫り物)を施す点など、細部に至るまで禅宗様で造られている。内部の天井の形式や八角の仏壇も他に類を見ないものである。内部には禅宗寺院には珍しく大日如来像が安置されている。

この塔の建立年代は、従来、漠然と鎌倉時代末〜室町時代始め頃と考えられていたが、2004年奈良文化財研究所埋蔵文化財センター古環境研究室による年輪年代調査の結果、この三重塔の部材には1289年(正應2年)に伐採した木材が初重内部の蝦虹梁に使われていることが判明した。このことから当塔は13世紀末、1290年代に建築されたものと考えられ、1320年建築の功山寺仏殿を凌ぐ日本最古の禅宗様建築である可能性が高くなった。

 次回に続きます・・・

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