志喜屋日記

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寺社仏閣

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皆様、こんにちは。

毎回、この言葉で始まってるなぁ・・・。

何か他の言葉を考えねば。

オッス!みんな元気でやってるか〜?

こりゃ、ダメだ。誰も見てくれなくなる。

まぁ始めの挨拶は通常通りの普通で良いですよね。

さて、宮島編の続きを開始致します。

今回は、内殿の写真の前半です。内殿の写真も多くて分割しました。

下記、宮島(厳島)の詳細です。

【概要】
日本三景のひとつ、いわゆる「安芸の宮島」である。古代から神聖視されていたとされ、江戸時代以来、日本屈指の観光地として栄えてきた。現在では人口1800人余りの島に、年間300万人近い参拝客・観光客が訪れる。

海上に浮かぶ大鳥居と社殿で知られる厳島神社は、平安時代末期に平清盛が厚く庇護したことで大きく発展した。社殿・廻廊ともに国宝(建造物)に指定されている。また数多くの美術工芸品・武具類が奉納されている。中でも清盛が奉納した「平家納経」は、平家の栄華を天下に示すものとして豪華絢爛たる装飾が施されており、日本美術史上特筆すべき作品の一つとされる。厳島神社は1996年に世界遺産に登録された。

「厳島」としては、1934年(昭和9年)より周辺海域を含めた島嶼全域が瀬戸内海国立公園に編入され、自然公園法が定める特別保護区域となっている。1952年(昭和27年)に国の特別史跡及び特別名勝に指定され、弥山の原始林は国の天然記念物にもなっている。

かつて島全体が佐伯郡宮島町と一致していたが、2005年に廿日市市と合併した。

旅行情報誌等の紹介記事には、「日本三景」として厳島神社の朱の大鳥居の写真がよく使われるが、本来の日本三景は弥山山頂から見える、江田島、大黒神島等の多島美を指す。

宮島口から約10分程で宮島に渡ることができる。また、広島港(宇品)から、便数は少ないが宮島に高速船が運航されている。

毎年8月14日には宮島水中花火大会が行われ、県内外から多くの見物客が訪れる。

島内には厳島神社以外にも大聖院をはじめ多くの仏閣がある。また、厳島神社宝物館、宮島水族館、宮島歴史民俗資料館、広島大学大学院理学研究科附属自然植物実験所、宮島町伝統産業会館などの文化施設がある。

国内外から観光客が多く訪れ、その数は年間300万人近い(2006年の船舶運輸実績(片道)は約283万人[1])。宮島桟橋から厳島神社へと続く道沿いには多くの旅館が点在している。

2007年から毎年1回、廿日市商工会議所により「宮島検定」が行われている。検定では、宮島の歴史や文化・自然に関する知識を問う問題が出題される。合格者には認定カードが発行される[2]。

同商工会議所は、宮島に関する多くの情報を網羅した「宮島本」(宮島検定試験の公式参考書も兼ねる)を発行している。

皆様、こんにちは。

本日は珍しく?二日連続で日記を書いてます。
少し時間が空いたんで・・・。

そんな時に書いておかないと、急に忙しくなり、書けない日々が続くのでね。

さて、宮島に到着です。

目指すは、厳島神社です!

 宮島、又は厳島(いつくしま)と言います。

ここは日本三大弁財天の一つです。

江ノ島弁才天(神奈川県)・竹生島弁才天(滋賀県)・宮島弁財天(広島県) です。

因みに私は全て制覇致しました。


又、皆様ご存知の様に日本三景の一つでもあります。

松島・天橋立・宮島です。・・・多分。
ちょっと曖昧な記憶ですが・・・。

到着した港から大体10分程度ですかね。

厳島神社は。

鹿の群れを避けながら、突き進む。

私は以前の日記でも書いた様に、小学校の修学旅行の時。数年前のダライラマ胎蔵界・金剛界伝法灌頂の時に宮島には訪れてます。

 ので、参道や土産物屋等に見向きもせず、海沿いの最短距離で突き進みます。

鳥居を越え、更なる鹿軍団をかわし、ああ〜やはり此処は鹿くさいなぁと思いながら到着です。

世界文化遺産:厳島神社 です。

では、拝観料を支払い宮内へ・・・



次回は、厳島神社の内側を案内致しますと共に、厳島神社の軽い案内と説明を補足致します。

では、次回、宮島編Bもご期待下さい。

皆様、こんにちは。

最近は、暗くなるのが早くなりましたね。

店舗をしてると四季の移り変わりが良く判ります。

真っ暗になってから閉店業務をしてると思いきや、ええ〜?こんな明るい時に閉めていいの?と夏は思います。


さて、本日からは広島県の宮島編です。

ここには神仏融合の象徴的要素が満載です。

日記のカテゴリーに困りましたが、一応は寺社仏閣に入れてます。

厳島神社が有名ですが、宮島には寺院が二〜三ヶ寺御座います。

さて、これから数回に別けて書いていきます。

先ずは、船に乗り宮島へ。

ご存知とは思いますが、宮島へは船でしか行く方法が無いんです。
(泳いでとかジェットスキーで行けるとかは言わないでね・・・)

車も乗せれますが。

私は、手前の駐車場に一日駐車をし、徒歩にて、いざ宮島へ!

大体、20分位ですかね〜所要時間は。

直ぐに到着します。

お目当ての鳥居を見ようと外で居てると、本当に直ぐに到着し、言う程、シャッターチャンスは無いんですよね。

さて、宮島に到着です。

これから、厳島神社に向かい、隣の寺院に参拝し、以前にダライラマによる両界曼荼羅伝法灌頂会が行われた(勿論、私も参加しましたよ)寺院へ向かい、ロープウェイで山奥の修行場に行き・・・・

と考えている所ですね。

まぁ時間的にも、そんなに上手くは行きませんでしたが・・・・。

半日位で、宮島を制覇出来ると思ってました。

絶対に無理。

まる一日は必要です。

皆様、宮島観光に行かれるなら、宮島滞在は早朝から晩までか、一泊でお考え下さい。

キツイのが、山頂から歩いて向かう場所で古の昔から途絶えた事の無い【炎】が延々と灯りを燈してる。・・・らしい。

行ってないので、判りません。

さて、次回も宮島編です。

紹介する事が多いので、かなり続きますよ。

皆様、飽きずにお付き合い下さい。

さて、南蔵院編も今回で最後です。

少し寂しいですね〜

遊んでた友達とバイバイする様で・・・。

寂しがり屋なんですよ、私。

って、関係無いですね。

では、お待ちかねの南蔵院最終回です。

此方が、有名な釈迦涅槃像です。

大きいでしょう?

中にも入れるんですよ。

中は四国八十八ヶ所のお砂踏みがあります。

そして、二階?部分にお釈迦様の舎利(遺骨)が納められております。

其処でしか購入出来ない『御守り』も購入出来ます。

南蔵院に行かれた際には、涅槃像と内部の参拝を強くお薦め致します。

参拝する価値、大いにアリです。

そして、南蔵院副住職夫妻です。

遊びに行き、晩御飯をご一緒しました。

美味しい地鶏をご馳走して頂きました。

そして、何やら判らない激辛のスープも飲まされました・・・・。

まさに激辛。

副住職以外は飲むのを避けてました・・・。

私は興味本位で一口頂きましたが、後悔しました。

あの辛さはオカシイです。

普通に飲んでた副住職!オカシイぞ!!
と、個人日記になる所でした・・・。

お二人のお陰で本当に楽しい、福岡の旅になりました。
有難う御座いますね。


 と言う訳で、南蔵院編は終了です。

次回からは広島県宮島編を開始する予定です。

今後も、志喜屋 寺院参拝 日記、お楽しみに〜

皆さん、こんにちは。

早いもので10月ですね〜?

今年も残す所あと3ヶ月。

何だか、月日の流れが速く感じる今日この頃です・・・。


 今回は南蔵院の涅槃像の日記の予定でしたが、写真を確認したら違いました。


今回は、南蔵院滝場の紹介でした。

敷地内に滝が流れてます。

って、まぁ山の半分が南蔵院の敷地なんで、そりゃあ滝も流れ、川もありますよ。

そして、滝とお不動さんは凄く密接に関わってるので、まさにって場所ですね。

 滝場にもお堂にも洞窟内にもお不動さんが安置されております。

 私が伺った時には、誰も居てませんが、早朝等には、滝行をされる方もいらっしゃる様です。

今度、私が伺った時は、私も滝行を経験してみようかな・・・・。

まぁ季節によりますが。

滝場の橋を渡ると岩の内部に入れ、突き進むと違う場所に出ます。

軽い探検気分を味わえますよ。

私は以前に一人で参拝した時に、遊んでました。

まぁ一人だったんで、若干寂しかったですが・・・・。

南蔵院は敷地内に売店・喫茶店も設けておられるので、本当に一日居てても飽きません。

それ以前に、半日は費やさないと全てを参拝する事は出来ない位の寺院です。

何時行っても、大きさに驚きます。

さて、次回が最終回です。

最終回は涅槃像写真と副住職夫妻の写真を大公開です。

次回も、ご期待下さい。

  では、次回に続きます。

今月は末に近付くに連れて、アクセスが激減・・・・。

焦りつつ、日記を更新しております。

閲覧数が増えるのも嬉しいが悩みだ。

減ったら悲しいが、維持するにも意外と更新が必要だ。

まぁ寺院日記は趣味を兼ねた紹介の様なものだから良いものの、常に日々の日記を書いてたら、続かないだろうなぁ。

と言うよりも、私が日々の日記を書いたところで、誰も興味無いでしょうけど・・・

今回の写真は南蔵院本堂内の写真です。

福岡に移ってからは年月はそんなに古くはないものの、やはり年期から来る重厚感が漂う本堂です。

元々は高野山にあったとの事。

ここまで大きくなるとは。

僧侶の情熱、周りの信仰心と人情深さが現れた結晶なのかも知れません。

今でも疑問です。

何故、私がこんな大きな、巨大寺院の関係者と知り合いなのか?って。

縁と言うものは面白可笑しく・嬉しく楽しく、そして怖いものです。

そんな全ての縁との付き合いの中で、南蔵院現副住職との良縁が生れたのでしょう。

そりゃ、そうでしょう。良縁ばかり望んでたら、最後は良くない縁ばかりと付き合う事になりますからね〜

何事もバランスなんでしょうかね?

私は運も良く良縁の方が多いと感じます。

次回は、お待ちかねの涅槃像です。

まぁご存知とは思いますが、南蔵院の涅槃像は半端無く大きいです。

勿論、写真も撮ってます。

次回の南蔵院編もご期待下さい。

皆様、こんにちは。

では、早速ですが、南蔵院編を始めます。

急ぐのは、アクセス数が激減したからです・・・。

今月も好調で、一日100件以上のアクセスがありました。

調子に乗り二連休が明けて出勤したら、二日で45アクセス・・・。
今日なんて、現在で2アクセス。

これは、非常にマズイんです。


さぁ、始めましょう。

南蔵院の本堂と周辺です。

上記の写真のお地蔵さんはお願い事をして持ち上げる。軽く上がれば直ぐに叶う。重ければ努力せよ。的な。

私?そりょあ勿論持ち上げましたよ。

結果は・・・・凄く重かったです。

精進が足りん!!!と言われた様です。

南蔵院編は知り合いと言う事もあり、写真を撮り過ぎました。

莫大な量の写真を管理出来ず、困ってます。

どれを載せたら良いんだろう?って。

最終回には南蔵院副住職夫妻の写真を載せます。(許可済み)

後、数回は南蔵院編が続きます。

続きもご期待下さい。


さぁ、アクセスが伸びます様に・・・・

皆さん、こんにちは。

今回も南蔵院編の続きです。

ええ〜詳細を調べようとしたのですが、イマイチな情報しか提供出来そうに無いので、南蔵院公式HPを載せておきます。

興味のある方は、此方↓より確認下さい。
http://www.nanzoin.com/

今回の写真は南蔵院大師堂です。

まぁ真言宗の寺院には基本的に大師堂があります。・・・・無くても何処かで弘法大師空海をお祭りしているはずです。

此方のお堂は立派でした。

無知で良く判りませんが、お大師さんが剣を持っています。
【秘鍵大師】と書かれてたと思います。

通常なら、皆様ご存知の様に右手は五鈷杵を持ち難そうに持ってますよね?

ここ南蔵院では立派に剣を持ってます。
そう、まるで不動明王の様に。

凄く大きな撫で五鈷を五色の紐でお大師さんに繋ぎ、賽銭箱の上に設置。

これを撫でる事により、お大師さんに触れ、お大師さんと一つになれると言うシステム。

そんな大事な土台として弊社の賽銭箱が使われております。勿論、賽銭箱としての機能も果たしております。

本当にありがたい事です。

しかし、一点悲しい出来事が・・・。

弊社が奉納した証のプレートが何者かによって奪い去られました・・・・。
なんて事をするんだ、一体!

又、プレートを作製し送ろうかと検討中です。


 福岡 南蔵院編はまだまだ続きます!

さて、今回からは、九州は福岡県の篠栗にある、南蔵院編を開始致します。

此方の寺院は敷地が広い。

そして何よりドデカイ釈迦涅槃像が安置されております。

数年前に十周年の法要をされました。

今年で安置十三年目あたりでしょうか?

何の縁か面白い?もので此方の南蔵院の副住職は、私の大学時代の後輩なんです。

まぁ現在は友達みたいなものですが。

高野山大学時代に友人(現在は高知にて副住職)の弟君(此方も真言宗僧侶)の友達だった。

ソフトボール部?サークル?に顔を出すようになった時に、居た。

そして、知らない内に後輩認定してました。

因みに私はソフトボール部に所属してた訳ではありません。

友人の多くが参加してたので、行かないと時間が潰せ無かったので・・・。

大学時代に一度、遊びに行った時に驚きました。

何てデカイ寺やねん?っと。

今回で三〜四回目だろうか。

林覚竜副住職(愛称:ジョージ)は大変出来た人物だ。年下なのに・・・・。

私が遊びに行くと必ず持て成してくれます。忙しい時も。

本当にありがたい事です。

アポ無しでブラッと行った時も、涅槃像の祝典法要の準備で大変なのに、地元で有名なラーメン屋さんに連れて行ってくれました。

今回も忙しいのに、奥さんと一緒に晩御飯に付き合って頂きました。

奥さんも美人で、最高の夫婦でしたね。


と、個人的な話を書いてしまいました。

次回からは、しっかりと南蔵院をレポート致します。

勿論、詳細も次回ですが・・・。

判らないものですね。

今回も勉強になりました。

日記を書くにあたり、『大宰府』なのか『太宰府』なのか迷い、【大】にしたり【太】にしたりと保険を掛けておきました。

調べたら謎は全て解けた!

因みに現在、一般的に使用されてるのは太宰府の方みたいですね。

さて、短い太宰府天満宮編、今回で最後ですが詳細を書いておきます。

大宰(おほ みこともち)とは、地方行政上重要な地域に置かれ、数ヶ国程度の広い地域を統治する役職で、いわゆる地方行政長官であった。大宝律令以前には吉備大宰(天武8年)、周防総令(天武14年)、伊予総領(持統3年)などあったが、大宝令の施行とともに廃止され、大宰の帥のみが残された。『続日本紀』、文武天皇4年10月の条に「直大壱石上朝臣麻呂を筑紫総領に、直広参小野朝臣毛野を大弐(次官)と為し、直広参波多朝臣牟後閇を周防総領と為し」とあるように「総領」とも呼ばれた。

大宝律令(701年)によって、九州の大宰府は政府機関として確立したが、他の大宰は廃止され、一般的に「大宰府」と言えば九州のそれを指すと考えてよい。また、その想定範囲は、現在の太宰府市および筑紫野市に当たる。遺跡は国の特別史跡。

歴史的用語としては機関名である「大宰府」という表記を用いる[1]が、都市名や菅原道真を祀る神社(太宰府天満宮)では中世以降に現れた「太宰府」という表記を用いる。「宰府」と略すこともある。

なお現在、地元では史跡は「都府楼跡」(とふろうあと)と呼称されることが多い。

外交と防衛を主任務とすると共に、西海道9国(筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隅)と三島(壱岐、対馬、多禰(現在の大隅諸島。824年に大隅に編入))については、掾(じょう)以下の人事や四度使の監査などの行政・司法を所管した。与えられた権限の大きさから、「遠の朝廷(とおのみかど)」とも呼ばれる。

軍事面としては、その管轄下に防人を統括する防人司を置き、西辺国境の防備を担っていた。

外交面では、北九州が古来中国の王朝や朝鮮半島などとの交流の玄関的機能を果たしていたという背景もあり、海外使節を接待するための迎賓館である鴻臚館(こうろかん)が那津(現在の福岡市中心部)に置かれた。

長官は大宰帥(だざいのそち)といい従三位相当官、大納言・中納言クラスの政府高官が兼ねていたが、平安時代には親王が任命されて実際には赴任しないケースが大半となり、次席である大宰権帥が実際の政務を取り仕切った(但し、大臣経験者が左遷された場合、実務権限はない)。帥、権帥の任期は5年であった。又、この頃は、唐宋商船との私貿易の中心となった。

四等官は、帥の下に「弐(すけ 大弐(だいに)、少弐(しょうに))」、「監(じょう 大監(だいかん)、少監(しょうかん))」、「典(さかん 大典(だいてん)、少典(しょうてん))」が置かれ、そのほか史生、医師、算師などが置かれていた。

面積は約25万4000平方メートル、甲子園の約6.4倍である。


更に詳しくは

【http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%B0%E5%BA%9C】

此方で確認下さい。



次回も福岡編をお送り致します。

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