志喜屋日記

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寺社仏閣

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皆様、こんにちは。

台風が近付いて来ている様ですが、大丈夫ですか?
備えあれば憂いなし。
何処に何があるか位は確認した方が良いですよ。

しかも、今回の台風は規模が大きい様なので。


さて、大宰府天満宮編です。

私にしては珍しく?神社に参拝致しました。

九州に大学時代の友人が居りまして、かなり有名な寺院の息子です。
其処には巨大な涅槃像が安置されており、そこに参拝する為に福岡に向かいました。

夜の大阪南港から車を船に乗せ、ゆったりと旅を始めました。

北九州の新門司港には朝の八時頃に到着しました。

その日は夕方迄、副住職(友人)が用事で寺内に居てないとの事だったので、先に太宰府天満宮を参拝したと言う訳です。

大学時代に一度訪れましたが、少し雰囲気が変わっていました。

夏休みの時期だったので、参拝客は多く賑わってました。

ここも参拝スポットなので、外人さんも多く見受けました。

次回、詳細書きます。

因みに、大宰府天満宮編は次で終わりです。

九州旅行は内容盛り沢山なので、紹介するのが大変です・・・・。

次回もご期待下さい。

皆様、こんにちは。

高知出張より戻って参りました。

弊社特製、オリジナル大黒天尊像を無事に納めて参りました。

作業を含む、納品から最後に御住職達との写真を撮影して来たので、近い内に日記に載せますね。

さて、智積院日記も今回で最後になります。

此方は前回も書いた有料の庭園内部です。

参拝客も少なく、広々とした敷地の中を自由に過ごしました。

真言寺院では珍しく?庭園を綺麗に完備している所に驚きました。

京都だからかなぁ〜?

でも、同じ真言宗でも東寺・大覚寺・仁和寺には、智積院の様な禅宗的庭園は無かったような・・・・。

たまには何十畳もの大きな和室から綺麗な庭をボォーっと見るのも乙です。

そんなゆっくりとした時間が過ごせる場所でした。

真言宗智山派総本山 五百佛山 智積院、良いお寺でした。

皆様も三十三間堂・京都国立博物館等にお寄りの際には、徒歩5分の場所にあるので、是非、ご参拝してみては如何でしょうか?

 
 では、智積院編はお終いです。

次回は、福岡県篠栗の高野山真言宗 別格本山 南蔵院の日記か、四国八十八ヶ所 第三十四番札所 種間寺編をお送り致します。

【*】全然違う日記を書いたらゴメンなさい。

皆様、こんにちは。

毎度毎度、更新が遅くなり申し訳御座いません・・・・。

お盆準備期間〜お盆〜お彼岸準備期間〜お彼岸と連続して仏事行事があるので、この期間は忙しいんです・・。

ってまぁ、日記を書く時間位あるやろ?と言われれば確かにあるんですが・・・ねぇ?それは、休憩時間として休んでます!


おっと、言い訳になってしまいました。


では、本題の智積院の続きです。

智積院自体の拝観には無料です。

本堂・不動堂等に参拝されるだけなら、自由に参拝出来ます。


しかし、真ん中辺り、左側に庭園に入る入り口があり、ここを拝観するには確か500円必要だったと思います。

その手前の宝物館も確か有料でした。金額は入ってないので判りません・・・。

平日で真言宗智山派の総本山と言っても、世間的には知られてないのでしょうか?

近くには三十三間堂・清水寺・高台寺・知恩院等の有名寺院が御座いまして、其方には参拝・観光の方々が多く見られました。

しかし、ここ智積院は空いてる・・・。

まぁ参拝時は混み合ってるより良いですが、寺院としては少し寂しいです。

次回、庭園編にて終了です。

空いてたので自由に動き回りました。


私事ですが・・。否違うわ、仕事やった。
明日から高知に出張です。

高知の八十八ヶ所の札所からの仕事を頂いて下りまして、それの納品です。
これ、凄いんですよ。又写真を撮って、日記に載せます。


今後も、見逃せませんよ〜

智積院・・・自分も知らない事ばかりでした・・・・。

勉強になるなぁ〜

何て、良いブログなんだろう〜


さて、本題に入ります。

■智積院(ちしゃくいん)は、京都市東山区にある真言宗智山派総本山の寺院である。山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)という。本尊は金剛界大日如来、開基は玄宥(げんゆう)である。智山派大本山として、「川崎大師」の通称で知られる神奈川県川崎市の川崎大師平間寺(初詣の人出で例年日本一を争う)、成田山として知られる千葉県成田市の成田山新勝寺及び東京都八王子市の高尾山薬王院がある。

■智積院の歴史は複雑で、紀州にあった大伝法院と、豊臣秀吉が、3歳で死去した愛児鶴松のために建てた祥雲寺という2つの寺が関係している。

智積院は、もともと紀州(現在の和歌山県岩出市)根来山(ねごろさん)大伝法院の塔頭(たっちゅう、山内寺院)であった。大伝法院は真言宗の僧覚鑁(かくばん)が大治5年(1130年)、高野山に創建した寺院だが、教義上の対立から覚鑁は高野山を去り、保延6年(1140年)、大伝法院を根来山に移して新義真言宗を打ち立てた。智積院は南北朝時代、この大伝法院の塔頭として、真憲坊長盛という僧が建立したもので、根来山内の学問所であった。

近世に入って、根来山大伝法院は豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585年)の根来攻めで、全山炎上した。当時の根来山には2,000もの堂舎があったという。当時、智積院の住職であった玄宥(尭性/ぎょうしょう、1529-1605)は、根来攻めの始まる前に弟子たちを引きつれて寺を出、高野山に逃れた。玄宥は、新義真言宗の法灯を守るため智積院の再興を志したが、念願がかなわないまま十数年が過ぎた。

関ヶ原の戦いで徳川家康方が勝利した翌年の慶長6年(1601年)、家康は東山の豊国神社(豊臣秀吉が死後「豊国大明神」として祀られた神社)の付属寺院の土地建物を玄宥に与え、智積院はようやく復興した。さらに、三代目住職日誉の代、元和元年(1615年)に豊臣氏が滅び、隣接地にあった豊臣家ゆかりの禅寺・祥雲寺の寺地を与えられてさらに規模を拡大し、復興後の智積院の寺号を「根来寺」、山号を現在も根来に名を残す山「五百佛山」とした。

■東大路通りと七条通りのT字路に面して総門(東福門院の旧殿の門を移築したもの)が建ち、その先には講堂(平成7年、1995年、300年ぶりに再建)、大書院、宸殿などが建つ。大書院は桃山城の遺構といわれる。大書院に面した庭園は千利休好みと言われ、国の名勝に指定されている。

境内奥には金堂(本尊金剛界大日如来、地下に胎蔵界大日如来)、明王殿(大雲院本堂を移築したもの、本尊不動明王)、大師堂(1789年築、空海を祀る)、密厳堂(1667年築、新義真言宗の祖・覚鑁を祀る)などが建つ。


この日記の三枚の写真は上記の明王殿になります。

寺院の説明になると文字ばかりが多くなり読み難いですかね?
スイマセン、一応は説明も要るでしょ?

では、次回も智積院編、お楽しみに〜

こんにちは。

またまた遅くなりまして・・・。

まぁぼちぼちのマイペースにて日記の投稿をしております。

ゆっくりお付き合い下さい。

こちらは言わずと知れた?智積院。

真言宗智山派の総本山です。

智山派ってご存知ですか?

この辺りでは、京阪香里園駅直ぐの成田山大阪別院が有名です。

北河内にお住みの方は車を購入されたら、祈祷しに行かれるのではないでしょうか?

勿論、他にも成田山は全国に御座います。

以前の日記で成田山大阪別院は紹介させて頂きましたよね?覚えてますか?

その智山派の総元の本山が智積院です。

真言宗も派が幾つかに分かれてるんです。

高野山真言宗を創め、智山派・御室派・大覚寺派・東寺真言宗・豊山派・・・・・新義真言宗(根来寺)等など。

その内の一派です。

ここは私が以前からちょくちょくと紹介しております、【真言宗十八本山巡拝】の拠点元にもなっております。

参拝用の本や軸・納経帳等が販売されております。

それを購入しに向かったので、そのついでと言えば失礼ですが、そんな感じで参拝致しました。

詳細は、何時もの様に、次回です。


智積院編、意外と続きます。

 ご期待下さい!!!

 皆様、こんにちは。

最近は少し涼しくなりましたね。
今年は残暑が無いのでしょうか?

雨も一瞬で急激に降ったりと、本当に天気がオカシクなってますね。


今回は、短くこの第Cで三十三間堂編は終了です。

写真は本尊と周りを取り囲む千体菩薩です。他にも四天王や風塵雷神、等々の安置されてますが、堂内は撮影禁止なので・・・。

でもまぁ、圧巻ですよ。

 本尊前の軒から撮影してます。

良い具合に本尊や他の仏様も見れるので良かったです。


 三十三間堂付近は有名な寺社仏閣が沢山御座います。
また、京都国立博物館も前にありますので、展示会の時に寄られるのも良いかと思います。


 次は、智積院等の真言宗十八本山関連、福岡県篠栗別格本山南蔵院、安芸の宮島、四国八十八ヶ所関連を載せて行きたいと思います。

ここは、堂内の休憩所です。

この日は暑くて大変でした。

しかも、参拝の方が凄く多くて、堂内は蒸し風呂状態・・・。

先に進みたくても、少しずつガイドの方が進みながら説明するので、団体客を抜けません。

丁度、真ん中辺りに軒に出れる場所があります。

結構、皆さんここで休憩しておりました。

まぁ暑いから当然かも知れませんね。

 偶然なんですが、一人で来られ?休憩されてる女性の方がいらっしゃいました。

凄く絵になっていたので、勝手ながら写真を撮らせて頂きました。

誰かは判りません。

帰って見直しても、やはり良い写真だったので、HPのトップ画面にも載せております。

 何か、良い感じと思いませんか?

風流と言うか、上手く表現出来ませんが、京都って感じです。

勿論ですが、この後に声を掛けたり、ナンパなんてしてませんよ。

こんにちは。お久し振りです。

お盆が終わり、お休みを頂いておりました。

この夏休みでも寺院参拝を行いましたので、少しずつですが、載せていきます。

では、三十三間堂の続きです。

三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は京都市東山区にある仏堂。建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。同じ京都市東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、本尊は千手観音である

この地には、もともと後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があった。その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂、今に言う三十三間堂である。

上皇が平清盛に建立の資材協力を命じて旧暦の長寛2年12月17日(西暦1165年1月30日)に完成したという。創建当時は五重塔なども建つ本格的な寺院であったが、建長元年(1249年)の火災で焼失した。文永3年(1266年)に本堂のみが再建されている。現在「三十三間堂」と称される堂がそれであり、当時は朱塗りの外装で、内装も極彩色で飾られていたという。建築様式は和様に属する。

「三十三間堂」の名称は、間面記法による表記「三十三間四面」(#構造)に由来する。「33」は観音に縁のある数字で、『法華経』等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによる。

江戸時代には各藩の弓術家により本堂西軒下(長さ約121m)で矢を射る「通し矢」の舞台となった。その伝統に因み、現在は「楊枝のお加持」大法要と同日(1月中旬)に、本堂西側の射程60mの特設射場で矢を射る「三十三間堂大的全国大会」が行われる。弓道をたしなむ女性新成人参加者が振袖袴姿で行射する場面は、しばしばニュース番組等で取り上げられる。一般的には「通し矢」と呼ばれているが、60mは弓道競技の「遠的」の射程であり、かつての通し矢とは似て非なるものである。

三十三間堂について次のような伝承がある。後白河上皇は長年頭痛に悩まされていた。熊野参詣の折にその旨を祈願すると、熊野権現から「洛陽因幡堂の薬師如来に祈れ」とお告げがあった。そこで因幡堂に参詣すると、上皇の夢に僧が現れ「上皇の前世は熊野の蓮花坊という僧侶で、仏道修行の功徳によって天皇に生まれ変わった。しかし、その蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでいて、その目穴から柳が生え、風が吹くと髑髏が動くので上皇の頭が痛むのである」と告げた。上皇が岩田川(現在の富田川)を調べさせるとお告げの通りであったので、三十三間堂の千手観音の中に髑髏を納め、柳の木を梁に使ったところ、上皇の頭痛は治ったという。「蓮華王院」という名前は前世の蓮華坊の名から取ったものであるという。この伝承により「頭痛封じの寺」として崇敬を受けるようになり、「頭痛山平癒寺」と俗称された。

皆さん、お早う御座います。

随分と長い間、放置してしまいました。

何と言っても、お盆時期なんで、予想以上に忙しくて・・・。

スイマセン、言い訳です。

少し前に休みを頂きまして、京都に行って参りました。

真言宗智山派総本山の智積院に用事がありまして、ついでに三十三間堂を参拝して来ました。


と言う事で、【三十三間堂編】を開始致します。

ご存知でしょうが、詳細は次回に致します。


若干の補足を先に致しますと、正式名称は

【蓮華王院 三十三間堂】を言います。

因みに、国宝です。

宗派は確か天台宗だったと思います。

ここは、観光スポットとしても有名な寺院なので、人が凄く多いです。

しかも、外人さんが多くてアメリカ系・ヨーロッパ系・アフリカ系を多人種が入り乱れる状態でした。多分。見た目で決めてるので、確信は無いですが・・・。

 この日は天気も良く(良過ぎで猛暑)、観光、参拝には良い日でした。

雨男の私には珍しく、快晴でした。

三十三間堂編、まだまだ続きます。

皆さん、こんにちは。

相変わらず暑いですね〜

お盆が近付いて来た事もあり、お盆用品や進物用お線香等がよく売れます。

後、三日で迎え火ですからね。

毎年、行っている五山の送り火、今年は行けないんですよね〜・・・・。

さて、中山寺最終回ですが、実際は前回で終了でした。

写真が残ってるので確認すると、回向・納骨堂関連の写真でした。

中山寺に納骨されてる信者さんや檀家さんがお参りに訪れるお堂だと思います。

 関係者のみが訪れていると言った感じでした。

中山寺編:今回、無理矢理繋げましたが、今回で終わりです。

次回は・・・・・?


 

 今週の公休日に用事があったので、京都の智積院(真言宗智山派総本山)に行って来ました。

 その時に、三十三間堂(蓮華王院)と京都国立博物館に行きました。

と、言う事で次回は三十三間堂か智積院日記を開始致します。

 次回の寺院日記も是非ご覧下さい。

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